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670000HIT御礼「泣けるコピペ−私的三十傑」。



お待たせしました、毎度お馴染みのアクセスキリ番御礼企画も本年最後の67回目。
今年最後の御礼企画はやはり年末なので『心の大掃除』と参りましょうかね。
昔、書いたことがありますが、精神医学的にも「泣く」という行為は非常に重要で、
三ヶ月に一度は大泣きする事が、精神のバランスを程良く保つために良いペースだそう。
しかし人間ってのは成長するにしたがって、そんな一々泣いてられる訳でもなく。
なもんで今回は年に一度の泣き納め、今年一年の貴方の心の大掃除。
泣いて泣いて心に積もった垢を落としてさっぱりして、新年を迎えようじゃありませんか。
選びに選び抜いた三十のコピペと動画を2つ、御用意しました。
さぁ準備はOK?ハンカチなんかじゃ用不足、ティッシュを箱ごと持ってこんか〜いッ!

【第一話:母ちゃんのカブ】
285 名前:母ちゃんのカブ[sage] 投稿日:2009/12/13(日) 21:44:17 ID:fPl/GTwK
10年前の事。僕が社会人になった年の秋の雨の日、母さんが48歳の
若さで亡くなった。病院に運ばれた時には既に全身に癌が転移していて
手の打ちようが無く、1ヶ月ともたなかった。僕が幼い頃に母さんは
僕を連れて父さんの元から出ていき、それ以来、母さんは女手ひとつで
僕を育ててくれた。自分の欲しい物は全て我慢し、高校、車の免許、
そして大学までも行かせてくれた。僕は大学を卒業後、地元の小さな
商社に就職し、少し貯えも出きてこれから親孝行をと思った矢先の事だった。

母さんは、少しばかりの貯金と大きな風よけの付いたスーパーカブを
置きみやげにして僕の見えない処へ旅立ってしまった。

287 名前:母ちゃんのカブ[sage] 投稿日:2009/12/13(日) 21:45:10 ID:fPl/GTwK
母さんは、早朝は新聞配達、日中はプレス工場で現場作業をしながら僕を
育ててくれた。新聞屋のおじさんの厚意で「配達のバイトをしている間は
配達用のスーパーカブを自由に使っていいよ。」と、母さんに鍵を与え
てくれた。そしてカブは僕らの住む市営住宅駐輪場の一員となった。
僕が小学校の高学年になり自転車に乗る事を覚えるまでは、母の仕事の
給料日になると、荷台に座布団を2つ折りにゴム紐で縛り付けて作った
即席タンデムシートに乗せられ、2km先のスーパーへすき焼きの具材と
サイコロのキャラメルを買いに出かける事が月に一度のささやかな贅沢で
あり、楽しいツーリングだった。(今思えば50ccの二人乗りだったけど)

当時の母さんは僕が少しの微熱でも出そうものなら背中におんぶ紐で
グルグル巻きに縛り付け
「たかし、もうすぐお医者さんだからね、がんばられ!」
と、即席タンデムシートに乗せられ病院へ連れていってくれた。

自分はどんなに熱を出して咳き込んでいても病院に行かなかったくせに。

288 名前:母ちゃんのカブ[sage] 投稿日:2009/12/13(日) 21:45:59 ID:fPl/GTwK
僕が就職した年の夏の終わり頃に、母さんが仕事先で倒れ、市内で一番
大きな病院に入院した。医者には
「どうして、こんなになるまで放って置いたんですか!」と怒られて
しまった。ずっと我慢していたのは母さんらしかったが、それが手遅れ
になった原因となってしまった。しかも母さんは、お金が掛かるからと
まともな治療を受けようとはしなかった。

母さんの見舞いは仕事帰りに毎日行ったが、2週間目には、貯金を全て
僕の口座へ移すこと、困った時にはおじさん(母の弟)に頼ること、
嫁さんを見つけて幸せになること。を告げ、そして、二人きりの生活を始めて
からは一切口にする事がなかった父親の連絡先を教えてくれた。まるで
自分の死期を悟っているみたいだった。
「俺、もう帰るね。」
病室を出ようとすると何かを手渡された。ハンカチを縫い合わせた
母さん手作りのお守りだった。母さんは精一杯の切ない笑顔を作っていた。
「これは、たかしが困った時に開けて読んでみなさい。」
僕は黙ってそれをポケットに押し込み、涙がこぼれない様に駆け足で
病室を後にした。

その一週間後に母さんは帰らぬ人となった。

289 名前:母ちゃんのカブ[sage] 投稿日:2009/12/13(日) 21:46:56 ID:fPl/GTwK
慌ただしく葬儀が終わり職場へ復帰した僕は悲しみを忘れるため仕事に打ち込んだ。
そしてバス通勤を止め、母さんが毎朝運転していたカブに乗って出社した。
(カブは新聞屋のおじさんが形見にと譲ってくれた。)
今やこのカブだけが僕の家族であり、心の支えとなっていた。
新規契約が取れる度に、カブに話しかけ、丁寧に磨いた。母さんをいたわる様に。

ある日の仕事帰りのこと。
僕はいつもの帰り道をいつもの様にカブに乗って帰っていた。自宅まで
3百メートルのガソリンスタンドのある交差点。いつもの様に真っ直ぐ
抜けるはずだったが、何か違和感を感じた。すると左から急激に向かって
来る白い乗用車が視界に入った。
「あれ?信号はこっちが青だろ?」
考えが追いつかないまま強烈な衝撃に襲われると同時に、冷たいプールに
飛び込んだかの様に息が止まった。はね飛ばされた僕はアスファルトの
上を滑りながら深い暗闇の中に吸い込まれていってしまった。

「このまま、死ぬんかな、、、母さん、もうすぐ逢えるね、、、、、。」

290 名前:母ちゃんのカブ[sage] 投稿日:2009/12/13(日) 21:47:58 ID:fPl/GTwK
僕は多分夢を見ていたんだと思う。いつか見た光景だった。あたたかく
柔らかい背中にしがみつきながら懐かしい声をぼんやりと聞いていた。

「、、かし、、たかし、もうすぐ、お医者さんだからね、がんばられ!、、、、、」
「たかし、たかし、もうすぐ、お医者さんだからね、がんばられ!」

顔は見えないが、間違いなく母さんだった。僕は強くしがみついた。

「母さんなの?俺、もう大丈夫だよ!今まで何処に行っていたの?」
「母さん、今日、部長に褒められたよ。期待の新人だってさ。」
「母さん、初任給でこれ買ったんだけど母さんに似合うかな?」
「母ちゃん、晩ご飯はカレーにしてよ。お肉、高いから入れなくていいよ。」
「母ちゃん、今度の授業参観は来れるの?どうして泣いているの?」
「ねぇ、聞いてる?ねぇ、かあちゃん、かあちゃん、、、ちゃ、、、、。」

目を覚ますと僕は病院の集中治療室のベッドにいた。

291 名前:母ちゃんのカブ[sage] 投稿日:2009/12/13(日) 21:49:10 ID:fPl/GTwK
意識が戻ってしまえば、奇跡的に軽い打撲と擦り傷で済んだ事を医者に
驚かれた。念のため2日入院したが、その間に会社の上司や同僚らが見舞い
に来た。加害者側のサラリーマンは一度だけ顔を見せた後は保険屋が代わりに
事務的な手続きをしに来ただけだった。
退院後に警察に呼ばれたので所轄署へ行くと、簡単な聴取とカブの引き取り
の依頼をされた。母さんのカブは変わり果てていた。まるで僕の身代わりに
なった様にボロボロになっていた。まるで僕を育てた引き替えにボロボロに
なった母さんそのものだった。

僕は母さんを2度失ってしまった。

292 名前:母ちゃんのカブ[sage] 投稿日:2009/12/13(日) 21:49:58 ID:fPl/GTwK
退院してからも僕はしばらく会社を休んだ。行く気になれなかった。
壊れたカブは事故相手の保険屋が新品に交換すると言ってきたが、断った。
もう、どうでもよくなってしまっていた。このまま消えても誰も悲しまない。
自殺しても構わなかったが、それすらも面倒なだけだった。

流石に1週間が過ぎた頃には会社の部長が訪ねて来たが、生返事だけして
帰ってもらった。部長は帰り際に「困った事があったら相談しなさい。」
と自宅の住所と電話番号のメモを渡してくれた。
メモを仕舞おうと電話台の引き出しを開けると、母さんが入院中にくれた
お守りが目にはいった。ハンカチを切って縫い合わせたお守りの中には小さな
手紙が入っていた。

あの日の病室、あの日の母さんの切ない笑顔を思い出した。

293 名前:母ちゃんのカブ[sage] 投稿日:2009/12/13(日) 21:51:06 ID:fPl/GTwK
お守りの中の手紙にはこう書かれてあった。

「たかしへ、母さんは先に天国へ行くけどごめんね。でも母さんは消えて
しまった訳ではありませんよ。たかしが母さんを思い出した時には、
母さんは必ず、たかしのそばにいて、応援してますよ。だから、がんばれ!」

ずいぶん無断欠勤をしたにも関わらず、会社の皆は優しく迎えてくれた。

僕が立ち直ってからのこの10年は、仕事や結婚、育児など、慌ただしく
過ぎ去ってしまった。
そして不景気のお陰でほんの少しだけ時間の余裕が出来た今、2輪免許を
取得しに自動車学校に通っている。バイクに乗ることは妻に反対されたが、
免許を取ってもバイクを買わない、乗らない。この2つを条件に押し切った。
皆さんは不思議がるだろうが、僕は正式にバイクに2人乗りができる資格
だけで良いのです。

いつしか僕が年老いて、この世を去り、母さんへ逢いに行った時、母さんと
二人で雲の上でもツーリングしようかなと。そのための免許。

もちろん、タンデムシートには母さんを乗せて。





【第二話:がんばってね】
263 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 08:57:17.92 ID:PoJ9fqOTO
半年ほど前、漏れのじいちゃんが入院した。
それまでにも何回か入院と退院を繰り返していたが、
今回はやや長くなりそうだということで、お見舞いに行った。病室は6人部屋の一般病棟。
その中にまだ小学校に上がってないくらいの女の子もいた。
じいちゃんと他愛もない話を2,30分ほどして漏れはコーヒーを買いに席をはずした。
自販機のそばにあったベンチでコーヒーを飲んでいた漏れは、
ふと近くにあった部屋を覗き込んだ。
そこはいわゆるプレイルームってやつでTVがあったり、
おもちゃや本がおいてある部屋だった。

その部屋にさっきじいちゃんの病室にいた女の子が座ってた。
漏れはなんとなくプレイルームに入って、その女の子に声をかけた。
「こんにちは、さっき病室にいた子だよね。名前はなんていうの?」
女の子は小さな声で「ユカ」と答えた。どうやら折り紙を一生懸命作っているようだった。
「ユカちゃんか。僕は○○○だよ。よろしくね」
ユカちゃんは折り紙をやめて漏れのほうを見て小さい声で「よろしくね」って答えて
また折り紙をはじめた。

そのときはそれで終わり、漏れはプレイルームを後にして病室に戻った。
そしてその日はそのまま家に帰った。
じいちゃんの入院は長くなるとのことだったので漏れの家族が
一週間おきに輪番でお見舞いをすることになった。
4人家族だからおよそ一ヶ月にいちどのお見舞いになる。

そして漏れの当番の日。
着替えなどを持って病院に行き、じいちゃんと話をして、またコーヒーを買いにいった。
プレイルームをのぞくとそこにはユカちゃんがひとりでいた。

漏れは部屋のドアを開け声をかけた。
「ユカちゃん、こんにちは。僕のこと覚えてる?」
「うん」
そういったユカちゃんは立ち上がり、漏れのそばに近づいてきた。
そして「これあげる」と漏れにあるものを渡した。

それは小さな折鶴だった。
漏れはそのまま部屋に入り、色々な話をした。
病気で幼稚園にいけなくなったこと、ピアノのお稽古が嫌いなこと、
来年から小学校にあがること。折り紙は看護婦さんが教えてくれたらしい。
漏れは夏にとある国家試験をひかえていたので
ユカちゃんに「ユカちゃん折り紙が得意だったら、お兄ちゃんにいっぱい鶴を折ってよ。
夏に大事な試験があるんだ。」てお願いした。
たぶんユカちゃんは「試験」の意味も分かってなかったと思う。

でも、最高の笑顔で「うん」て答えてくれた。
「約束だよ、指きりしようね」漏れは指切りをして、部屋を後にした。
そして、それがユカちゃんを見た最後の時だった。

次の当番の日、お見舞い道具一式を持ってじいちゃんの病室に行った。
そのとき漏れは約束のことなどすっかり忘れていた。
じいちゃんに着替えを届けて、話をして、帰ろうと思ったとき一人の女性が声をかけてきた。
「○○○さんのお孫さんの方ですか?」
見たこともない人に声をかけられた漏れは少し驚いたが
「ええ、そうですが。あなたは?」と答えた。

するとその女性はこう答えた。「ユカの母です。」
その表情に漏れは何かいやなものを感じた。漏れの予想通りだった。
ユカちゃんは漏れが帰ってから二週間後に亡くなったそうだ。
ユカちゃんのお母さんは一通り話を終えると持っていた紙袋からあるものを取り出した。
それは透明なビニール袋にいっぱい入った折鶴と手紙らしきものだった。

お母さんはそれを渡しながらこう言った。
「○○○さんが来た次の日から妙に張り切って折り紙を作るようになったんです。
それに○○○さんのおじいさんに字を教えてくれって頼んだらしいです。
おじいさんが理由を聞いたら『手紙をかくんだ』って。」
漏れは袋を開けて中の紙を取り出した。
案の定手紙だった。たどたどしい字で「がんばってね、ユカ」とだけ書いてあった。

それを読んで漏れは病院の待合室で人が大勢いるにもかかわらず大声で泣いた。
お母さんも一緒に泣いた。
しばらく泣いた後、お母さんは一言「ありがとうございました」といって席を立った。

漏れはこの夏、5歳の女の子の力一杯の応援を背に試験を受ける。
ありがとう、そしてさようなら。





【第三話:出会い系サイト】
470名前:名無し 投稿日:03/05/02
ほんとに出会えるもんだね・・・びっくり・・・

ttp://xxx.com



471名前:名無し投稿日:03/05/02
死んだ俺のじいちゃんやばあちゃんとも出会えますか。

じいちゃんは五年前から寝たきりだった。生きてる頃は正直、気にしたこともない存在。
寝たきりなだけでやたらと元気だし、死ぬだなんて考えたこともなかった。
それが去年さらっと死んだ。
棺おけに入ったじいちゃんはベッドに寝たきりだったころと変わらない顔してた。
そのまま火葬場で骨になった。

じいちゃん死んで元気がなくなったのか、今年の初めにばあちゃんも死んだ。
立て続けに死なれて親父たちはへろへろになってた。

俺が思い出せるのはじいちゃんやばあちゃんのウザったいおせっかい。
寒いからもっと着ろだとか、俺がひそかに嫌いな料理を美味いから食えだとか。
実家に帰った時に千円や二千円を小遣いにくれたりとか。
そんな程度しか思い出せない。

じいちゃんもばあちゃんも俺のことを好きだった。
だけど俺はそんなに好きってわけじゃなかった。
でももう一回会えるなら、今度はちゃんと好きだったって言ってやりたい。

出会えますかこの野郎。

俺はじいちゃんとばあちゃんに会えるのかって聞いてんだよこの野郎。





【第四話:格好良い父親】
32 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/10/09(金) 23:05:40.93 ID:bhJk7rf/0
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。
特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。

父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。
しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。

しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、
「ちょっとあのお父さん見て」と言うので、
見つめるのも失礼なので向いの鏡 越しに彼の後姿をみてみた。

咳き込むたびにハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。
ハンカチは血だらけだった。
咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。

向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。
奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。
その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。
うちのカミさんはちょっともらい涙していた。

帰りに俺は無神経にも
「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよな」とカミさんにいった。

カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。俺もちょっと泣いた。





【第五話:俺には弟がいた】
50 1/2 投稿日:2009/10/09(金) 23:15:38.85 ID:bhJk7rf/0
俺のおふくろは、俺が18のときに親父が迎えた後妻だが、
メス犬だった前のおふくろではなく、本当のお袋だと思ってる。
結婚が決まってから、初めて俺はおふくろと新しい弟に会った。
半ズボンにブレザー、緊張した9歳の坊主から俺はこの手紙をもらった。

俺も一人っ子で、本当は嬉しかったのに照れくさかったから、
かなり無愛想にその手紙を受け取った。
だけど新しい弟に会ったのはそれが最初で最後になった。
弟はそれからすぐ事故で死んだ。

俺は何でもしてやるつもりだった。
中学に入って生意気になってきたらエロ本をくれてやるつもりだった。
学校でいじめられたら、仲間連れてお礼参りしてやるつもりだった。
タバコをおぼえ始めたらぶん殴って兄貴風吹かして叱り付けるつもりだった。
単車だって、俺のお古をくれてやって兄弟で走りに行くつもりだった。
「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、
そして彼女ができたら、からかってやるつもりだった。
弟の部屋にのこのこ現れて、バカやって二人の邪魔をする。
「ふざけんなよ兄貴ぃ!」なんて言われたらとっくみ合いの喧嘩をして、
おふくろが止めに入って、二人してどやされる、そんな光景を夢に見てた。

52 2/2 投稿日:2009/10/09(金) 23:16:44.16 ID:bhJk7rf/0
葬式では、おふくろよりも俺の方が激しく泣いた。
友達が心配するくらいに狼狽して、一人で立っていられないくらいに。
タイムマシンがあったら、ほんの一週間前の自分にあって
胸ぐら掴んでやりたいくらいに後悔した。
もっと優しくしてやればよかった。どんな想いで手紙を書いて、
どんなに緊張して俺に手紙を渡したんだろうに。

俺は弟の代わりにおふくろを大事にしている。
この人こそが俺のおふくろだと思ってる。
「俺のおふくろを粗末にすんじゃねえぞ兄貴」
「わかってらぁ!るっせえよヴォケ!!」
弟とのそんなやりとりを、今でも空想しながらおふくろに接してる。
生きていたら、俺の弟は今年の春、大学に入学していたはずだ。

たった一回しか会わなかったが俺には弟がいた。





【第六話:継母】
86 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:27:55.67 ID:N7IUHMEb0
私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。
特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、
なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。
そんなぎくしゃくした関係だったけど、継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。

小学校4年になった夏休み、私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。
あんまり気が進まなかったけど、断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。
現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。

しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
すごく苦しかった。
でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。

気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。
一時心臓が止まって危なかったんだよと涙ぐんだ父が言ってた。
ベッドの傍に、継母はいなかった。
私は父に「あの人は?」と訊いた。
父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。
私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、
そのまま力尽きて下流まで流された。
その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。

私は次の日に継母のいる病室に行った。
継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。

葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。
私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に

「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。あの子なら、命かけてでも守れる自身がある。
 ○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」

継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。
いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。
いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。
そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。
愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。
私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。

日記を読んではじめて、私は
「お母さん!」
と大声で叫びながら錯乱状態になり、
声が出なくなるまでごめんね、ごめんね、と言って泣いた。
ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。

年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。





【第七話:東京観光】
121 名前:無情男[] 投稿日:2008/12/02(火) 15:33:08 ID:W0s8u+Zq
東京で単身赴任してたとき、連休とかにはいつも嫁が来て、家のことなどしてくれていた。
母にも、たまには東京来いよと言ってたんだけど、人混みが苦手だと決して来なかった。

そんな母が脳梗塞で突然死んじゃって、呆然としたまま遺品を整理していたら、
東京のガイドブックが出てきた。
皇居とか、浅草とかベタなところに一杯赤鉛筆で線引いてあって、何度も読み返したらしく
ボロボロになってた。

親父に聞いたら、行きたかったんだけど嫁の方ががいいだろうって我慢してたんだそうだ。
自分は肉が嫌いなくせに、俺の好きそうな焼肉屋とかにも一杯線引いてあって、
俺と一緒に回るのを夢見てたみたい。

俺は、お義理で誘っただけなんだけど、
誘われた後は何回も何回も息子が来いと言ってくれたと喜んでいたらしい。
一緒に行きたかった場所には、俺の名前が書いてあって、
それがたくさんたくさん書いてあって…

死に顔を見たときよりも、葬式の時よりもすっごく泣いた。
田舎に戻った今でも、生きてる間に呼ばなかったこと後悔している。





【第八話:ラスト2秒の奇跡】
575 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/06/06(火) 10:30:01 ID:3Sp8ttyZ0
すぐおちるだろうけど
一時間で1000行ったら生きてみようと思う
http://ex14.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1149553730/
以下、ダイジェスト版

1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2006/06/06(火) 09:28:50.17 ID:HFNFLo230
1000行ったら俺のこと必要としてくれてる人がいるって
思っていいんだよな?

1000 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2006/06/06(火) 10:28:48.15 ID:Xtk3VXLA0
1000





【第九話:1000取り合戦】
992名前:名も無き冒険者[sage]投稿日:2006/11/26(日)17:08:21
1000なら明日は学校でいじめられない。

993名前:名も無き冒険者[sage]投稿日:2006/11/26(日)17:16:47
1000じゃなくてもお前がいじめられてたら助けてやる





【第十話:最後の宿題】
837 :本当にあった怖い名無し :04/11/05 21:57:17 ID:7ZRzBvsY
俺の友達の話しだけど。
俺の友達は、古風に言えばヤンキーだった。
高校もろくに行かず、友達と遊び回っていたそうだ。
先生達は皆サジを投げていたそうだが、友達の担任の教師だけは、そうじゃなかった。
かなりの豪傑だったらしく、何事にも熱心に取り組む先生だったらしい。
幾度となく留学の危機に瀕した友達を叱咤激励してくれたそうだ。
友達はその分、反抗もしたみたいだけど。
先生のおかげか、そいつの頑張りかは知らんけど、
友達は高校を卒業してとある土木会社に就職。

そして、去年の10月頃、やつは不思議な夢を見たらしい。
高校の教室、辺りはぼんやりとしていて、何人かの生徒の姿が見える。
教壇には、ニカッと笑った先生の姿があった。
その先生は突然、黒板に「自習」という字を書くと
「明日から休みになるが、宿題がある!」と叫んだ。
友達が「えーっ!」と声を上げると、先生は笑って「俺からの最後の宿題だ。幸せになれ」
と言ったという。
目が覚めた後、何となく変な感覚があったと友達は言っていた。

そして、その日のお昼頃、そいつは突然、先生の死を知らされたそうだ。
原因は俺は知らないけど、急死だったらしい。
この間、飲みの席で「俺の先公の命日だったんだ」なんて話しから、その話しを聞かせてくれた。
いつも強気で口調の荒いそいつが、声を殺して泣いているのを見て、
先生の最後の宿題を、こいつはちゃんと続けているんだなぁ、って思った。





【幕間動画:卒業式】






【第十一話:荒らし】
21 名前: 寧々ちゃん(2才)[] 投稿日:2008/05/05(月) 13:34:50.98 ID:MuiiG06r0
一日2HITなのに荒らされました





【第十二話:私を支えるモノ】
1455 名前:2ちゃんねるのどこか 投稿日:2009/09/03(木) 00:17:06
「小さな親切」にある話からだけど・・

鬼ヶ島の鬼さんへ
4歳の誕生日に、母から『桃太郎』の絵本を買ってもらった私は、
その時期の子供によくあるように毎晩母にせがんでは、
眠りに就く前に読んでもらうのが常だった。
ただ、普通の子と違っていたのは、桃太郎より鬼の方が好きだったことだ。
何度読んでも最後には退治されてしまう鬼がかわいそうになり、
とうとう私は「鬼ヶ島の鬼さんへ」というあて名で励ましの手紙を書いて、
こっそりポストへ入れてしまった。
そんな届くあてのない手紙を出して1週間後、
私あてに送り主のない郵便小包が届いた。
両親の前で開けてみると、中から1冊の絵本『泣いた赤鬼』が出てきた。
誰が送ってくれたのか、両親さえも本当にわからない。
その日から、私の宝物は『桃太郎』から『泣いた赤鬼』へと変わった。
今考えれば、
たどたどしい字で書かれた幼い子供の手紙を受け取った郵便局員さんが、
プレゼントしてくれたものではなかったかと思うが、
あれから25年を経た今、真実を知るすべもない。
けれども、あの時に本を届けてくれた人の善意の心が
今も確かに私の心の中に生きていて、私の人生を支えているのである。





【第十三話:不信】
381 名前:大人の名無しさん[] 投稿日:2008/12/11(木) 22:40:50 ID:1W/HcNc9
カーナビさえも俺に嘘をつく。





【第十四話:アサヒビール】
85 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/30(木) 17:25:43.54 ID:N7IUHMEb0
私の父は無口で頑固で本当にこわくて
親戚中が一目置いている人でした。
家に行ってもいつもお酒を飲んでいて
その横で母がせわしなく動いていた記憶があります。

私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くと
ずっと黙ったままやっと口を開くと
「ビールは何を飲むんや?」でした。
その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。
その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見て
なぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。
当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃで
イライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。

2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょって
なんで冷たく言っちゃったんだろう?
あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが
残されてた・・・
その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日
「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。幸せになれ。」って書いてた。
おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が
押入れいっぱい詰められていた。






【第十五話:王様の命令】
862 ('A`) New! 2008/07/24(木) 21:50:48 0
聞いてくれよ、この前合コンで王様ゲームやったんだよ
そしたら一番可愛い女の子が王様になったんだよ
「もしかしたら俺とチューなんてことも・・・・」なんてワクワクしてたら
「おまえ帰れ」って言われた





【第十六話:粋な計らい】
355 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 12:17:43.46 ID:EOmLx+UX0
今までで強烈に感動したCMドラマ。
アメリカで見たし、何のCMかも忘れたし、一度きりだし、台詞もうろ覚え。でも覚えてる。

舞台はアメリカの老人ホーム。寂しい老人達が、届いた花束を持った看護婦さんに、
期待して集まってくる。カードが読まれて、花束が誰宛か判明して、その人だけが喜ぶ。
後はがっかりして部屋に戻る。

ある時、大きな花束が届いて、また老人達が集まってくる。今度は誰宛だろう? と
看護婦さんが、早くカードを読むようにせかされる。彼女がそれを読む。カードには、
「大切なあなたにこの花束を贈ります」とか書いてある。期待する老人達の輝く顔。
そして最後の宛名を見て……、看護婦さんは涙目に。
それは、ここの老人達全員からの、看護婦さんへの花束だった……。老人達大喝采!

自分の中で、これを抜くドラマCM未だなし。





【第十七話:友人】
358 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 12:31:17.02 ID:EOmLx+UX0
阪神大震災は、モンゴルでも重大ニュースとして報道され大きなショックを与えた。
モンゴル政府はただちに臨時閣議を開き、救援物資を送ることを決めた。
それも、ただ送るということではなく、一刻も早く届けようとしたのだ。
毛布2100枚、手袋500組その他を直ちに政府特別機に積み込み、
プレブドルジ副首相は国民を代表して見舞いにやってきてくれた。

モンゴル国は、以前はモンゴル人民共和国と称していた。
ソビエト連邦の衛星国の一つとして、ソ連共産党の指導下に長きにわたり入っていたが、
その時代でさえ、モンゴルは日本に極めて好意的な国家として、
経済・文化交流などで緊密な間柄を保っていた。
そのことにソ連が不快感を示しても、モンゴル政府は、
『 血の繋がりは、共産主義の教義よりも強し 』
としてこれを無視してきたのである・・・・。

ソ連崩壊後、モンゴルは自由主義国家を目指し、市場経済への道を歩み始めた。
日本は同国にとっての最大の援助国として全面的に支援してきた。
同国は日本の長きにわたる援助を多とし、
感謝の気持ちを込めて救援に駆けつけてくれたのであろう。

関西空港で出迎えた外務省幹部が感謝の意を表明するとともに、長旅を労って
休息していただこうとしたが、「長居をしてご迷惑を掛けたくない」と、
わずか90分だけの日本滞在で機上の人となった。
日本では「困った時の友が真の友」という。
モンゴルにも「困難に直面する時こそ、友人の価値が分かる」という諺があるという。
小さな国からの、大きな贈り物であった。





【第十八話:優しい嘘】
857 NHK名無し講座 sage 2005/05/25(水) 21:27:30 ID:s0AjrhQ5
おまえら、半額の寿司とから揚げゲットしてきましたよ
寿司床に落とした、三秒悩んで水洗いした

897 NHK名無し講座 2005/05/25(水) 21:29:59 ID:3deJm5Ph
>>857
小学校のとき給食の五目御飯を落としたとき代理できてた教頭先生が
「落ちたのがうまいんだ」といって俺と交換してくれたのをおいしそうに食べてたのを
思い出して、泣いた。





【第十九話:交換】
852 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2006/11/08(水) 20:14:21 ID:87n2mWE1
弁当、中学のときの先生にもらったことがあるw
お弁当忘れたら、
「なんだ〜!じゃあ先生のを半分やろう!先生最近太っちゃってさ。」
といそいそ半分こしてくれた先生。
クラスの男の子で、ちょっとぐれていた子が、いつもパンを買ってるのを見て、何回か
「いいなぁ。そのパンおいしそうだな!!先生のととっかえてくれよ〜〜〜」
と、自分のお弁当と取替えてもらっていた。
その男の子は恥ずかしそうにしてたけど、「先生のお弁当美味いね」といつも完食。
先生はとても嬉しそうだった。
先生の奥さんも、たまに大量におかずを持たせていたらしいが、
ぐれた男の子のことを気にしていたようだった。
男の子の親はお母さんだけで、その母親もたまにしか家に帰らずに
男のところに入り浸っていて、帰ると息子に5千円か1万円くらいを
渡してまたいなくなる、という家庭環境(近所では有名だった)で、
手作りのおかずは身近なものではなかったんだと思う。
「先生、奥さんのご飯美味いじゃん。いつも食えていいね。」
と言ってたその男の子、卒業式で先生と一緒に大泣きしていた。





【第二十話:手土産】
415 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2008/10/31(金) 16:49:48.94 ID:yMtIrH6q0
学生時代、書類の手続きで1年半ぶりに実家に帰った時のこと。
本当は泊まる予定だったんだが、次の日に遊ぶ予定が入ってしまったので
結局日帰りにしてしまった。
母にサインやら捺印やらをしてもらい、帰ろうとして玄関で靴紐を結んでいると、
父が会社から帰ってきた。
口数が少なく、何かにつけて小言や私や母の愚痴を言う父親のことが苦手で、
一緒に居ると息苦しさを感じていたの私は、父が帰宅する前に帰ってしまいたいと
いうのも、日帰り、ひいては通えない距離の学校を選んだの理由の一つだった。
父が、「お前、泊まるんじゃなかったのか」と訊いたので、
「ちょっと忙しいから」とぶっきらぼうに答えると、手に持っていたドーナツの箱を
私に差し出し、「これやるから、電車の中で食え。道中長いだろうから」と言った。

駅に着くと、電車は行ったばかりのようで人気がなく、30分は待たされるようだった。
小腹が減ったので、父からもらったドーナツの箱を開けた。
3個ずつ3種類入っていた。家族3人でお茶するつもりだったんだなぁ。
でも、私が9個貰っても食べきれないよ。箱の中を覗き込みながら苦笑した。
その直後。あぁ、あの人は凄く不器用なだけなんだろうな―。
ふとそう思うと、涙がぼろぼろ出てきた。
様々な感情や思い出が泡のように浮かんでは消えるけど、
どれもこれも切なかったり苦かったりばっかりで。
手持ちのポケットティッシュが無くなっても、
ハンカチが洗濯して干す前みたいに濡れても涙は止まらなくて、
結局、一本あとの電車が来るまで駅のベンチでずっと泣き続けていた。





【幕間動画:兄妹】






【第二十一話:キングカズ】
13 名無しさん@九周年 :2009/01/26(月) 18:43:55 ID:VjHoUt3r0
ブラジルのサッカー選手を夢見る孤児たちを育てる団体に、
カズがサッカーボールを送ったことがあった。
それも、200個ものボールを。 子供たちは、とても喜んだ。

しばらくして、やはりJリーグが同団体にボールを寄付することになった。
エージェントが現地へ赴き、少年たちにボールを渡す。
少年たちはやはり喜んだが、渡されたスポルディングのボールを見て
「スポルディングではなくて、メーカーは『カズ』が良かった。」
「『カズ』のボールはとても使いやすかった」
と口々に言う。

Jリーグのエージェントは首をひねった。カズ?そんなメーカーがあっただろうか。
「これだ」と、手渡されたボロボロのボールを見てエージェントは驚いた。
すでにかすれてしまっているものの、ボールにははっきりとサインペンで

「夢をあきらめるな カズ」

と、現地の言葉で記した跡があった。
200個ものボール全てにカズは自筆のメッセージとサインを入れ、
それを子供たちは「カズ」というメーカーのボールであると思い込んでいたのだ。





【第二十二話:捨てちゃ、だめ】
182 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/10/10(土) 00:38:21.55 ID:9XNx/bC80
あの・・・落としものですよ?
         .∧__,,∧
        (´・ω・`)
         (つ夢と)
         `u―u´
あなたのすぐ後ろに落ちていましたよ?


たとえあなたの夢が叶わなかったとしても
        .∧__,,∧
        (´・ω・`)
         (つ夢と)
         `u―u´
叶えようとしたあなたの心を捨てないで下さいね。





【第二十三話:500円の指輪】
116 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/10/10(土) 00:03:42.67 ID:FrYG5Geu0
我家は母子家庭。
もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば
生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。

ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく
超々安物の指輪を気に入って購入した夜。
私「ねえ、これかわいいでしょ〜?」(本当に気に入ってたから)
小4の息子「買ったの?」
私「うん、どう?」
息子「高かった?」
私「まっさかーー、500円だったかな」

その後、何故か息子は下を向いて黙ってしまい
どうしたのかと思ってたら
「俺が大きくなったら、すっごい高い指輪買ってあげるから」
って涙ふきふき言われてしまいました。

買えないから買わないのももちろんあるけど、我慢するほど
そういうのが欲しい私ではなかったのに
息子は、きっと勘違いしちゃったんだろうなって。
でもそんな気持ちが嬉しくて、私も泣き笑いしちゃった。

これから先、何があってもこの子がいてくれたら
乗り越えていける、って改めて思わせてくれた夜でした。





【第二十四話:憧れの手弁当】
798 名前: 1/2 Mail: sage 投稿日: 2009/04/14(火) 16:01:49 [ O ]
飲んだくれ親父のせいで貧乏育ち。だから小さい頃は遠足の弁当が嫌いだった。
麦の混じったご飯に梅干しと佃煮。恥ずかしいから
「見て〜!俺オッサン弁当!父ちゃんが『お前の方が旨そうだ』って取り変えるんだよ〜!」
とクラス中でネタにして凌いでいた。
貧乏に負けない為にはクラスのお調子者になるしかない。
そう思っていた気がする。

その賜物か、破れた服を着ていても自転車が無くてもそんなキャラクターなのだと、
からかわれる事も虐められる事もなかった。
むしろ一人っ子の同級生が服とか自転車くれたりして。本当は悲しかったけどね。

中学に入ると毎日弁当だったがもはや
「いや〜毎回この弁当だとかえって親しみ湧いてさw」
と笑って食べていた。そう思うしか無かった。

母親はよく言っていたっけ。「いつもニコニコ笑っていなさい」って。
せっせとやりくりして給料日に作ってくれるコロッケと
ふわふわの甘い卵焼きが母ちゃんの味。

799 名前: 2/2 Mail: sage 投稿日: 2009/04/14(火) 16:06:49 [ O ]
そんな母には感謝しているが、今でも弁当だけがトラウマで、
嫁さんと幼稚園児の坊主の弁当は俺が作ってる。
もう毎夜仕込みが楽しいのなんのってw
三角おにぎりに、たこさんウィンナーに、ピカチュウの蒲鉾。
甘めに炒めた金平に、更に甘々の卵焼き。
可愛いピックまで付けてやる。全部あの頃“憧れた世界”だ。

嫁さんは「乙女かw」と笑い、
息子は「あのね、父さんの卵焼き甘くて美味しいよ。」と喜んでくれる。
あの頃の俺みたいに。
今はもう心から笑える。毎日幸せです。





【第二十五話:かつて、男達は戦った】
106 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2007/06/24(日) 09:49:05 ID:HiWyaPrZ
俺は20年ぐらい前に12時間夜勤バイトをやっていた
当時出始めた裏ビデオを見るビデオデッキと裏ビデオを買うためだ
当時ビデオデッキは10万以上したし裏ビデオも1本1万近くした
当時のバイト仲間は目的はみな同じで早く見たいな〜といつも話していた
そして売ってる店を探すのも一苦労だったしこっちから選ぶことはできなかった
裏くださいと言って店員が出したものをただ買うだけだった
そしてそれが今で言うハズレでも決して頭には来なかった
なぜなら万個が見れればそれで十分だったからだ画質内容最悪、
モデルがおばちゃんでも僕たちは固唾を呑んで見守った
それが今ではどうだ、クリック1つでただで万個が見れる
しかも画質最高モデルも芸能人と変わらないくらいかわいい子が多い
にもかかわらずやれ内容がどうだ、女がどうだと来る、
ただでひとんちの娘の万個が見れるのにだ
確かに好き嫌いはあるだろう、しかしゴミ箱に捨てるときちょっと思い出してほしい
その昔、ただ万個を見るためだけに必死にがんばって働いてた男たちがいたことを





【第二十六話:日陰者】
37 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)[] :2008/09/14(日) 00:29:01.35 ID:AChfx+8B0
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく
自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。
御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、
国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい」
(吉田茂 昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)





【第二十七話:どこかで、だれかが】
375 癒されたい名無しさん メェル: :2009/01/08(木) 20:35:10 ID:ScW7Itd9
子供の頃
朝起きて親が居ないとよく泣いていた
どうにもならない時、電話をしてみた

当時はケータイも普及してなかった
適当な番号を押して、つながるまで掛けた

電話に出た知らない人に「お母さんがいない」と言うと
「お母さんもう少しで帰ってくるから、心配しないで大丈夫だよ」と、こたえてくれた

遠い過去お記憶が今ふと思い浮かんだ
自分が思っているほど人は冷たくない。むしろ温かい





【第二十八話:65年前とは違う】
8 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/11/22(日) 00:55:24 ID:42NMopgT0
お前ら 小惑星「イトカワ」を目指したハヤブサの名前が意味する物が解るか?
小惑星イトカワとは日本の宇宙開発の父である糸川英夫から来ている
彼は戦後の貧相な開発環境の中でロケット開発全精力を傾け、
宇宙開発理解の無かった国家や企業を必死で口説き落として、
やっとこさ開発の援助の約束を取り付けた。
決して十分とは言えない予算で七転八倒しながら
時には旧社会党の左翼連中からの妨害に会いながら、
苦難の末、日本初の人工衛星打ち上げまでこぎつけた、
それも世界で4番目に打ち上げたんだぞ、純民生技術のみでな。
彼は戦前、航空機の技術者だった、彼の携わった一番代表作こそ、戦闘機「隼」だ
この隼は当時、国民の間で圧倒的人気のあった航空機であり、まさに日本を代表する
航空機であり、これから日本の航空技術の飛躍を感じさせるものだった。
しかし敗戦と占領政策による航空機開発の禁止によって
日本の空の技術は壊滅的打撃を受けた、
多くの航空機技術者達は空への夢を捨てざる終えず。
ある者は新幹線をある者は自動車開発へと向かって行った。
しかし最後まで糸川は空への夢を捨てずロケットと衛星に自らの思いを託し、
日本宇宙技術の基礎を固めた。
敗戦の時、自分たちが作り出した航空機の多くが焼かれ壊され破棄され、
技術開発禁止され技術者の多くは涙し絶望した、しかしそこから立ちあがり、
日本の空の技術の復権と発展を掛けた、技術者達の血と涙、執念、
夢と努力の歴史とその結晶を背負って、半世紀以上の時を経て、
もう一度「隼」は「糸川」に出会ったんだよ、宇宙(そら)で

1945年、多くの特攻機が空に舞っていた、その中に多く名機「隼」の姿があった
多くの特攻機、そして隼が敵艦の前で多くの悲しみと共に燃え尽きていった、
あの夏、敗戦の時、多くの人々が涙した、技術者も涙した。

あれから65年後、2010年6月、ハヤブサは地球の空で燃え尽きる、
もしそれを目にして涙する者があったとしても、
あの夏に流れた涙とは、違う。





【第二十九話:追憶】
25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/10/09(金) 23:00:45.89 ID:bhJk7rf/0
夏休みに自転車でどこまでいけるかと小旅行。計画も、地図も、お金も、何も持たずに。
国道をただひたすら進んでいた。途中大きな下り坂があって自転車はひとりでに進む。
ペダルを漕がなくても。何もしなくても。
ただ、ただ気持ちよかった。自分は今、世界一早いんじゃないかと思った。
子供心に凄く遠いところまできた事を知り、一同感動。滝のような汗と青空の下の笑顔。

しかし、帰り道が解からず途方に暮れる。不安になる。怖くなる。いらいらする。
当然けんかになっちゃった。泣いてね〜よ。と全員赤い鼻して、
目を腫らして強がってこぼした涙。
交番で道を聞いて帰った頃にはもう晩御飯の時間も過ぎてるわ、
親には叱られるは、 蚊には指されてるわ、自転車は汚れるわ。
でも次の日には全員復活。瞬時に楽しい思い出になってしまう。
絵日記の1ページになっていた。

今大人になってあの大きな下り坂を電車の窓から見下ろす。
家から電車でたかだか10個目くらい。
子供の頃感じたほど、大きくも長くもない下り坂。
でもあの時はこの坂は果てしなく長く、大きかった。永遠だと思えるほどに。

今もあの坂を自転車で滑り落ちる子供達がいる。楽しそうに嬌声を上げながら。
彼らもいつの日にか思うのだろうか。
今、大人になってどれだけお金や時間を使って遊んでも、

あの大きな坂を下っていた時の楽しさは、もう二度とは味わえないと。
もう二度と、友達と笑いながらあの坂を、自転車で下る事はないだろうと。
あんなにバカで、下らなくて、無鉄砲で、楽しかった事はもう二度とないだろうと。





【最終話:まだまだ、これからだ】
58 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)[] :2008/09/14(日) 02:20:23.87 ID:EpstdCue0
もともと貧乏だったのに、俺が9歳の頃に大好きだった親父が死んだ。
妹がもうすぐ産まれると言ってはしゃいでたのに、
働いていた工場で機械に挟まれて死んだらしい。

それから2ヶ月後に妹が産まれた。
親父が生きている頃の母は専業主婦だったが、妹が産まれてからすぐ職を探した。
妹を保育園に行かせるお金がなかったから、
おばさんの家に預けて、スーパーでレジを打っていた。
「おばさんの家が近くて、よかったね。」と母が何度も言っていたのを覚えている。

俺が13歳、妹が4歳になった頃には、親父の遺産も底を尽きて、家計が厳しくなってきた。
母の収入だけじゃ食費もままならない状態で、ご飯は朝と昼の2食だけ。
母はかなり痩せ、以前よりやつれていた。
腹は減るけど、不幸だとは思わなかった。幸い妹は元気で、俺の学校での成績はよかった。
俺はいつも母に「大きくなったら大手に勤めて、母さんに楽させてやるからな。」と言った。
それを聞いて母は、いつも「ありがとう」と笑ってた。

その年の12月のある日、妹が「ゆず湯に入りたい」と言い出した。
俺の家ではほとんどテレビをつけないから、多分おばさんの家で見たのだろう。
俺が妹に「ゆずはちょっと高いから、今は無理かな。
また今度な」と言っても、妹は聞かない。
とうとう泣き出してしまった妹に母が言った。「ちょっと待っててね、今ゆず買ってくるから」
そんな余裕はないはずなのに、母は出かけていった。
数十分後、母がビニール袋を提げて帰ってきた。
袋の中には、みかんが2個。きっとおばさんの家から貰ってきたのだろう。
しかし妹の喜ぶ顔を見ていたら、別にゆずじゃなくても良いような気がして、
何も言わなかった。

その晩、みかんが2個浮かんだ風呂から、母と妹が上がってきた。
妹は満面の笑みで「気持ちかったーーー」と喜んでいる。
そんな妹を見て、母も笑っていた。

俺は、片方が潰れた2つのみかんが浮かんでいる風呂に浸かりながら、
無邪気に笑う妹の顔と、久しぶりに見た母の楽しそうな顔を思い出していた。
ふと大好きだった親父の顔も浮かんで来て、涙が出てきた。

「親父、3人とも幸せだよ。まだまだ、これからだ。」

俺はそう呟いて、潰れていない方のみかんの皮を剥いた。





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  • 2016.08.26 Friday
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コメント
POOさん。今年もいろいろ楽しませていただきました。ありがとやんした。

来年もよろしゅうお頼みもうします。
  • みー
  • 2009/12/31 11:16 PM
>みーさん
こちらこそ、旧年は大変お世話になりもうした。
非常に程良いタイミングでコメントをもらえる事でホント、どれだけ励まされたか!
やっぱさ、コメントないと何かテンション下がるしな(爆

今年も日々の生活をちょっとは忘れてくつろげたり笑えたり癒されたり、
そしてバカ三十路と共に悶絶していただけるような
そんなブログにしていきたいと思っております。
また、ひとつよろしくお付き合い下さいませm(_ _)m
  • POO
  • 2010/01/01 3:43 AM
昨年は色々とお世話になりました
今年も宜しくお願い致します
POOさんが力強く駆けていく後姿を見ることを、今年も楽しみにする予定でs

ちょ、泣けるって一部意味が違うものがwwww
どれもグッときたけれど、個人的に22話と26話が心に残りました

こういった話を読むと、やっぱり日本ってまだまだ捨てたものじゃないなーって思いました
  • はな
  • 2010/01/01 6:34 PM
>はなさん
おっ、明けましておめでとうでやんす。
今年もよろしくお願い申し上げますでっス。

いやいや、広義の意味では間違いなく『泣ける話』じゃね?
なにも人が死ぬ事ばっかが悲しい訳ではないのですよ明智君!
三十路なんかはある意味、25話が一番泣けて困るわwww

不肖三十路、今年も色々ある予定(苦笑)ですが
まぁ吶喊体勢だけは常に整ってるんで乞うご期待!かな(苦笑
  • POO
  • 2010/01/02 12:34 PM
初めてこのサイトに来たんですが、なんか管理人が丁寧すぎてびびった。
ちゃんとひとつひとつ米返してて、いまどきはいない人だなあって思いました。
体に気をつけてこれからも頑張ってください。
  • no name
  • 2010/01/10 10:55 PM
>no nameさん
どもども初めまして。コメントありがとうございまっス。
なんぞ体の心配までしてくれて恐縮でありんすm(_ _)m

しかし、そんなに丁寧かな?
どんなコメントでも読んでもらったから反応があった訳なんで、
読んでもらった事自体はホント有り難いなぁと思ってるんだけど…。
あれだよ、俺がオッサンだから珍しいだけなんじゃねぇかな?(苦笑

と、寛大なフリしながら荒らしてった奴等には
実はIPごと禁止してるから二度と書き込めないんだけどな!
こういう小汚い対策を取るのもオッサンならではなんだぜ?(笑

良かったら、また覗いてやっておくんなまし〜ノシ
  • POO
  • 2010/01/12 6:00 AM
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