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490000HIT御礼企画「“死”にまつわる泣けるコピペ…私的20選」。



さぁてと随分とお待たせしました49万HITのキリ番御礼企画の登場なんですが、
その御紹介の前にひとつだけ愚痴らせてもらって良かろうでしょうかね?
最近、POOの大好きな人達が男女問わず軒並み元気が無いんっスよ。
原因はね、各々に色々あるんだろうけど本人達も中々口に出さなかったりしてて。
POO的には「愚痴はいつでもウェルカム〜」なんて態度でいたりするんだけど、
こっちも忙しくて実際にはちゃんと聞いてあげれる余裕がなかったりしてさ。
それでもなんとかしてあげたいな〜と仕事しながら頭の片隅でぼんやり考えてたら
パッ!と閃いたワケなんっスよね、『そうだ、泣かしてやろう』って。
心のストレスを解消させてあげるためには、やはり「泣く」のが一番じゃねぇかな?

てなワケで今回、2年前の大晦日に読んだ者すべてを号泣の淵に叩き込んだ
伝説級のあの衝撃企画「泣けるコピペ」を大復活して、再び泣いていただこうかと。
今回は直前の御礼独白にテーマを併せて「死」にまつわる泣ける話を限定編集。
コピペは基本改変とかは大厳禁なんですが、JUGEMの容量の問題もあるので、
若干の改行とPOOなりに考えたタイトルを付けさせてもらっての御紹介です。
どうぞたくさん泣いて泣いて、心に積もった澱を一気に掃除しようよ。
そしてすっきりしたら、またPOOの大好きな貴方の「笑顔」を見せて下さい―。
【第一話/もう一度】
179 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/07/11(水) 12:06:34.22 ID:SXk3+/ux0
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。


【第ニ話/手紙は届いた?】
105 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/12 02:10
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〜」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。


【第三話/ポケットを叩くとビスケットがひとつ】
450 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/10/15(水) 11:34:01
「このぽっけすごいねんで!!(`・ω・´)三3ムフー!!」
そう言って幼稚園の制服のポケットをパンパン叩いてた友達Aの息子
ポケットにはハンカチ、ティッシュ、お菓子、小指の先サイズのドラえもん、
母親とのプリクラ、それにムシキングカードなどなど…
その子にとっての宝物が詰まってた
「ぽっけ叩いたら欲しいもん何でも出てくんねん(`・ω・´)三3フンフン!!」
ソレ聞いて少しイジワル言ってみた
「じゃあミニカー出してみて」
前から欲しがっていて 持っていない事は知っていた
その子はムキになって
「あるもん!!フン!フン!」とポケットをパンパン叩いて宝物を散らかしていった
私はその子の隙を見てあらかじめ買っておいたミニカーをそっとポケットに忍ばせた
「フン!…あっ!! …フフ〜ン♪」
得意気に出てきたミニカーを私に見せびらかしてたが、
物陰で (´・ω・`)?? みたいな顔してた。かなり萌えた

ある日Aが死んだ脳溢血だった 職場で突然倒れそのまま逝ってしまった
友達はいわゆるシングルマザーで家族は60を過ぎた御両親だけ
私達も悲しみにくれる間も殆ど無く、葬儀の準備の手伝い、関係者への連絡などで忙殺されていた
その間、彼はずっとジュウレンジャーの絵本を何度も何度も読んでいた
通夜が始まりしばらく経った頃、彼が居ない事に気付いた
私と手の空いた者が付近を探した
しばらく探していると友達Bから着信
小さな公園で見つけたとの事
急いで駆けつけるとBは公園の入口で、どういうワケかうずくまって泣いていた
フッ…と公園の中を見ると彼が居た暗い街灯の下、

「…お母さん、お母さん…お母さん…」

と泣きながら必死にポケットを叩いてた
周りには宝物が散らばっていた
恥ずかしながら20代女、その子慰める前に しばらくの間 泣き崩れてしまいました
声を殺して抱きしめる事しか出来なかった
いつの間にか集まってたみんなも泣いていた
あの日は全てが悲しくて仕方がなかった

あれから二年
もうポケットは叩く事は無くなった
代わりに「ぐらふぃっくあーてぃすとになんねん(`・ω・´)三3ムフー!!」
が口癖になった
最近、ずっと絵を描いてるのはソレだったのか
どうやらBが 「お母さんの夢やったんよ」 と教えたらしいその話を聞いた瞬間、
また泣いてしまった
子供の言葉で、何だかこっちの方が救われた気がしたんです
少し画家と混同しているみたいだけど、頑張れ
君には5人のお母さんがついてるぞ
その日までちゃんとAの分まで全力で見守ってるからね


【第四話/犬はいつも楽しい事だけを考えている】
151 名前:Classical名無しさん[] 投稿日:09/03/10 22:10 ID:s4j22kqo
泣かないで
泣かないでって
言おうとするけど
顔を
舐めようとするけど

動かなくて
飼い主
もう
休んでいいよって
おりこうだったね
お休みって
気づいたら
目が見えなくなってて
声も聞こえなくなってきて
なにも
感じなくなってきて
でも
なんか
ずっと
飼い主の手が
あったかいのだけは
わかる
うれしいなあ
うれしいなあ
お休み
お休みなさい
起きたら
また


【第五話/本当のママ】
609 名前:わんにゃん@名無しさん[sage] 投稿日:2006/12/14(木) 12:49:22 ID:7v449wa8
はなへ
はなは私のお母さんだった。
いつも家にいなくていれば私を殴ってたあの女に噛みついて、私を守ろうとしてくれた。
学校まで、送り迎えもしてくれた。
狩りを教えようと雀を捕まえてきて、私の前で実演して見せてくれた。
親孝行したかった。
やっと自分で生活できるようになったよ。
私が守ってあげられるようになったんだよ。
教えてくれたのに、狩りできなくてごめん。
でも、今ならおいしいごはん買ってきてあげられるんだよ。
こたつもあるんだよ。
はなに親孝行したかった。
はなと二人で暮らしたかった。
帰ってきてほしいよ、はな。
どうして大人になるまで生きててくれなかったの?
はながいてくれたから、大人になれた。
はな、ありがとう。
今いきてるのは、はなのおかげ。
親孝行したかった。本当に。


【第六話/またきてね】
144 名前:名無しの心子知らず[] 投稿日:2007/01/21(日) 03:45:56 ID:v9tvN7VI
6歳の娘がいます。
昨年の夏に第二子を妊娠しましたが
10月に流産してしまいました。
あまりに突然だった為、手術の日まで実感がなく
夢なんじゃないかと思っていました。
手術が終わって次の日
娘が熱心にお絵かきをしてました。
いつもは飽きてすぐやめてしまうのに。
出来上がると私の所に駆け寄ってきて
「これ!赤ちゃんにかいたよ!」と。
見ると拙い字で
「あかちゃんまたきてね」
言葉が出なかった。
涙が溢れて仕方なかった。
子供の前だというのに大泣きしてました。
この子を産んで本当に良かったと
心から娘に感謝をしながら、抱きしめて泣きました。
本当に嬉しかった。
私の子供になってくれてありがとう。
生まれ変わっても
ママはまたあなたを産みたいと思うよ。


【第七話/教育って字は“教えて育てる”と書く】
149 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/07/11(水) 11:34:32.92 ID:SXk3+/ux0
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。
俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。
   困った時にこそ裏切られるんだよ最後の頼みの綱になー。
   がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。
   金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」
正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。
往年の面影も消え、ガリガリになった親父がまた時計をくれた。
まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。


【第八話/オヤジは、偉大だ】
130 VIPがお送りします 10/14(日) 18:50:05.83 ID:EcUaHjHS0
はぐれメタルの経験値がなんで高いのかって?
そりゃ、勇者達になかなか倒されないから長いこと生きてるわけよ
スライムなんか最初の町出てすぐいるじゃん?
全然長生きできないわけ。だから経験値も少ないわけ
でもはぐれメタルは逃げたりして長生きしてんの
一生懸命生きて、生活してんの
働いたり、恋愛したり、結婚したり、そりゃ一生懸命
結婚したら子供は何匹つくるか悩んだりして
養育費をどうしようとか、小学校卒業したら私立中学校に入れるかとか
ローン組んで一戸建て買うか、それともアパートでこのまま暮らすかとか
安月給で嫁さんに怒られたりとか、それでも嫁さん愛してたりとか
頑張って生きてるわけ。だから人生経験も豊富
そりゃ経験値も高くなるわ

ところでさ、はぐれメタルがなかなか逃げないときあるじゃん
あれってさ、はぐれメタルの親父が時間稼ぎしてんの
子供と奥さんだけは絶対に守りたいから
勇者達が自分に夢中になってる間に嫁さんと子供逃がしてんの
自分が死んでも家族が幸せに生きてくれるならって、自分を犠牲にしてさ
そんなことってできるか普通。自分を犠牲にだなんて
だから、はぐれメタルの親父は本当に偉大だなって思うよ俺


【第九話/君の名を呼ぶ】
1537 :おさかなくわえた名無しさん :2006/10/13(金) 13:53:07 ID:g8rxMoBW
両親は、仲が悪いのだと思っていた。
冷たく見えるぐらい素っ気なかったから。
両親の兄弟姉妹などから、幼なじみで大恋愛だったとか、
周りの反対を押しきって結婚したんだとか聞かされても、到底信じられなかった。
母が子宮癌で手術を受けた。
手術の終わる時刻を見計らって病院へ行くと、父が母のベッドの傍に座り、
好きな歴史小説を読んでいた。
麻酔から覚醒したのか、母が痛い痛いと呻きだした。
父は即座に小説を閉じ、母の右手を両手で包み込んだ。
『ユミ、大丈夫だよユミ…』
まだ意識が戻りきっていないながらも、父の声に母が反応して答えた。
「タカちゃん…痛いよ…タカちゃん…」
父と母が名前で呼び合うのを聞いたのは、それが初めてで、最後だった。
母の通夜の後、棺の中の母の頬を何度も何度も父は撫でていた。
黙って撫でていた。


【第十話/己の無力さを呪う】
276 名前:名無し職人[sage] 投稿日:2008/08/25(月) 22:42:14
本当は書くべきじゃないのかも知れんが、久々に堪らない思いになった。
一応、医者の端くれとして働いている。
こういう生業だから、人の死に接するのは少なくない。
ちょっと前、診察に訪れた若者に余命宣告をしたばっかりだ。
俺:誠に申し上げにくいのですが・・・。
男:はい。
俺:・・・肺癌です。しかもだいぶ進んでいます。はっきり言います。
  1年もつかどうかです。
男:・・・ガ、
俺:?
男:ガーン・・・・・・ なんちって・・・。
俺:・・・け、結構余裕ですね・・・。
男:ええ、まあ・・・。
聞けば酒も煙草もやらないというのに、なんとも不憫な巡りあわせであった。
ただ、衝撃的な事実を告げられても、この歳でこれほど冷静なのにも驚いた。
男:ああー、参ったな。
俺:・・・
男:あの、入院とか治療の開始とか、すぐ始めないといけませんかね?
俺:ええ、それはもう。すぐにでも取り掛からないと。
男:うーん。一ヶ月待って頂けないですか?
俺:何かあるのですか?
男:母親が、来月楽しみにしていた旅行があるんです。
  俺がこんなんだって知ったら、とても安心して行けないでしょうし。
俺:そうですか。ですが猶予もそうないのが現状です。
男:ですよねえ。参ったなあ。そういや、再来月は父親の誕生日なんですよ。
俺:・・・
男:参ったな、ほんと、参った・・・。時間全然足りないですよ。
  まだ、親孝行してないんですよ。
段々と声が震えてくる。
男:両親に、いつか生でオーロラ見せてやるって約束したんですよ。
  このまんまじゃ、孝行どころか最悪の親不孝者じゃないですか・・・。
他にも、兄弟にああしてやりたかった、友人にこうしてやりたかった、
職場で迷惑かける、など、自分の身の上よりも、
あくまで周囲への迷惑が申し訳ないと悔やんでいた。
最後の方は泣き崩れてしまった。
こんな状況ですら、他人の事ばかり考えられるような若者が、
どうして死を目前とせねばならないのだろうか。
どれだけ体験したって、決して慣れるもんじゃない。
そして、こんな若者一人救えない俺の不甲斐無さに、一緒に泣いてしまった。


【第十一話/今日の味噌汁、塩分きついなぁ…】
693 :名無しの心子知らず:2008/12/26(金) 13:36:27 ID:ZLuBX3wZ
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて
窓際に置いておいたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの
便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって
少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と
「ガンがなおるおくすり」
と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで
「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」
っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった〜。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね〜」……っていうと
夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして
「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように
鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、
つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。


【第十ニ話/それでもきっと幸福だった】
178 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2009/03/09(月) 06:51:22 ID:WWBivK+B
隣の家の犬は家主がゴルフ好きだから名前は『ダボ』。
なんでこんな可哀想な名前付けたんだろうといつも思ってた。
ダボは散歩に連れて行ってもらえるでもなく四六時中短い鎖につながれ
犬小屋も屋根に穴が開いてて雨が降るといつもずぶ濡れになってた。
ご飯も夜に一度、汚れたエサ入れに残飯をもらうだけだった。
そんなダボが先週死んだ。
家の前を通る飼い主と一緒に散歩してる他の犬をダボはどんな
気持ちで見てたのかな。
雨でずぶ濡れになって震えてるとき、家の中から聴こえる話し声や
笑い声をダボはどんな気持ちで聞いてたのかな。
ダボはいままで美味しいごはんをお腹一杯食べたことがあったのかな。
もしかしたらダボは自分が必要とされてないと気付いてたのかな。
そんな思いが次々と浮かんできて僕は涙がとまらなかった。
僕がたまにジャーキーをあげた時、ダボはそれをくわえるといつも少し
恥ずかしそうにしっぽを振って僕にありがとうと言ってくれた。
ダボは毛はひどく汚れてたけどよく見るととても綺麗な目をしてた。
いつだったか僕が撮ったダボの写メが一枚携帯に残ってる。
この先もずっと僕はそれを消さないと決めた。
ダボ。バイバイ。


【第十三話/最後まで覚えておきたかった事】
354 名前:大人になった名無しさん[sage] 投稿日:2009/03/04(水) 01:20:58
三年前に婆ちゃんが亡くなった。
婆ちゃんは元気な頃はかなりの読書家で、遺った沢山の文庫本を、
婆ちゃんにはかなわないが読書が好きな私がもらう事になった。
婆ちゃんが亡くなって半年位経った頃、遺品の中の「金色夜叉」を読んでたら、
メモ用紙が数枚挟まってた。
見ると、母、父、爺ちゃん、私の名前が、婆ちゃんの字でびっしり書いてあった。
婆ちゃんは亡くなる数年前から痴呆が始まり、
お見舞いに行っても「あら、どちら様?」と言ったり、
友達や看護士さんと家族を混同したりしていた。
たまに正気に戻ると「家族を忘れるなんて」と泣いた。
多分、何回も名前を書いて、すっかり忘れないように頑張ってたんだろう。
そう思うと切なくなって、メモ握りしめてわんわん泣いてしまった。
そのメモ用紙は、今も大事にしまっている。


【第十四話/最後に買ってあげたかった物】
805 名前:名無し物書き@推敲中?[] 投稿日:2009/02/24(火) 14:39:04
いつからか祖父が灯油を買いに行くようになった。
農業に一生を捧げた無口で朴訥とした人間で、体が弱くなってからは
あまり外に出たがらなくなっていたので家族は驚いた。
それまでは母が車でガソリンスタンドへ赴いていたのだが、手間が省けたと昼頃に
ふと思い出したようにポリタンクをキャスターに載せて家を出る祖父を見送った。
しかしそれから暫くして、母が父にぼやくのを聞いた。
「お義父さんいつもお金を多く請求するの。『少しくらいならいいじゃないか』って
うちだって切り詰めてやってるんだから。」
父は苦笑いしていた。
冬も終わろうかという或る日、トイレから戻ると祖父が俺の部屋にいた。
遂にボケたのかと思い、出て行けと強く怒鳴った。
萎縮して小さくなった背中に軽蔑と憎悪の視線を突き刺しながら言った、
小汚い守銭奴め。
祖父は一言も口にすることなく部屋を出た。
その日以来、僅かながらも半ば義務的に繋がっていた祖父との関係は断絶した。
そこにいてそこにいない人だった。
いつかの自分を重ねてしまい、誰に対するわけでもない悪態をついた。
5月に祖父が亡くなった。
何事もなく眠り、眠ったまま、眠るように亡くなった。
悲しみは無かった。
そこにいなかった人間がいなくなっただけなのだから、当たり前だ。
祖父の遺品に新品のスーツがあったそうだ。
大切に保管されていたそれは父でもなく祖父でもなく、
24歳の俺にピッタリのサイズだった。
いつからだろうか、一切を放棄することで全てを諦め、
他人の前に姿を見せなくなり始めたのは。
些細なことがきっかけだった高校時代のイジメが原因かもしれないし、
日中から家に居ることをただ責めた両親の鈍感が原因かもしれない。
けれど本当はわかっていた。
誰の所為でもないと。
このままではいけないと。
祖父は知っていた。
焦燥を、苛立ちを、無力感を。
シワ一つない真っさらなスーツは無口で朴訥とした不器用な祖父なりの精一杯だった。
必死で貯めたお金、訊けなかった寸法、渡せなかった答え。
泣くのは違う気がした。
明日、これを着て一歩踏み出すことにした。


【第十五話/サクラサク】
548 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 18:39:57 ID:8qJ8h9f00
俺のかーちゃん、俺が高3に上がったときに
いきなり倒れて入院した。
検査をして入院が決まったが
俺は内容を詳しくきかされなかった。
夏頃から受験勉強もあって
かーちゃんに会いにいく時間も取れなくなっていった。
俺は決して頭が良くはなかった。かーちゃんは立教大学出身
俺は小さい頃良く「かーちゃんと同じ大学にいく」と言ったものだ。
実際に受験となると、ハードルは高かったけれど
立教を目指してがんばった。
冬になり、かーちゃんは次第に痩せていった。
飯も食わなくなり、俺の手を良く握るようになった。
かーちゃんは俺に色々話をさせた
学校 進路 夢
思えば何であのとき気がつかなかったんだろう…
涙が…ちょヤバ…
最後の模試の結果が出た。
努力の甲斐か、立教大B判定が出た。
俺からすれば奇跡に近い判定
おれは帰りに病院に行き結果を見せた。
俺「かーちゃん、おれ立教大いくよ。判定もホラ」
得意げに模試を見せた
かーちゃん「がんばってるのね
タケシ(仮)が後輩になってくれたらかーちゃん嬉しいよ」
その日もかーちゃんは俺にたくさん話をさせた
俺の手を握りながら…楽しそうに
入試を控え2月に入った頭にかーちゃんに自宅療養許可が下りた。
俺は大喜びで迎えに行った。病院に着くと担当医の診察室に通された。
注意や説明かと思っていた俺は耳を疑った。
母は癌だという、最初は早期発見で準抗癌剤投与で治るはずだったそうだ。
そっからは頭が真っ白で良く覚えてない。
聞き取れたのは本人に告知してないこともはや手遅れだと言うこと
聞きたくもない現実だけが頭に残った…
かーちゃんの病室へ行くと
家に帰れるのが嬉しいのかもう準備をして待っていた。
俺はかーちゃんの顔をまともに見れなかった
それからすぐ、俺は大学入試を迎えた。
大本命の日、朝早く起きて下に降りるとかーちゃんが台所にいた
俺:何やってんだよかーちゃん、寝てなきゃ
母:今日は本命の日でしょ、お弁当持ってきなさい
一年ぶりのかーちゃんの弁当だった
俺は涙が出るのをこらえながら準備をして出かけようとしたとき
かーちゃんが急に苦しみだした
俺は急いで病院に電話し、救急車がきた
家には俺しかおらず、付き添って行った。
意識が飛びそうになるくらい
混乱しながら苦しむかーちゃんの手を握った。
病院についてすぐ親父も駆けつけた。しばらくして担当医に呼ばれた。
最期になるかもしれないのでついてあげて下さい
俺と親父が病室に入ったときかーちゃんは無惨なほどだった
血の気は引き、やせ細り…しばらくして意識が戻った
かーちゃんはいつもみたく手を握った
病人とは思えないくらい強く 俺は子供みたいに泣いていた…
かーちゃんは声にならない声で何かを呟いていた。
俺は耳を近づけて聞き取ろうとすると確かにこう言っていた
「うけてきなさい」
そしてかーちゃんは俺から手を離した
そんなの無理に決まっている。
かーちゃんを置いて受験に行くなんてしかももう8時を回っている
間に合うとしてもギリギリだった。困惑した俺に親父が声をかけた。
「行ってきなさい、母さんもそうしなさいと言ってくれてるんだ」
俺はかーちゃんのてをもう一度握ると弾けたように病室を飛び出していた。
そこからどうやって来たかはおぼえていない。走って…乗り換えて…池袋駅を疾駆して何とか一限の筆記を受けたときやっと正常な時間の流れに戻った気がする。
昼休み、何も食べる気がしなかったがかーちゃんの弁当を思い出した。
俺は中庭でそれを広げた時
何とも言えない懐かしさと何かこみ上げるものを感じた。
それは俺が中高5年間食べたかーちゃんの弁当だった
おいしい…涙をこらえ食べた かーちゃん…
それからは流れるように時間がたち手応えも何も感じないまま
フラフラと地元まで帰った…
病室に入ると、かーちゃんは居なかった
看護婦さんに聞いて霊安室につれていってもらった。
数名の御遺体の中、変わり果てたかーちゃんを見つけ
俺は叫びともつかない嗚咽をし、かーちゃんを抱きしめた。
担当の看護婦さんに連れられてラウンジで落ち着くまで色々な話を聞いた。
かーちゃんは俺が来た数日は本当に機嫌がよかったそうだ
看護婦さんや医者、同じ病室の人にも よく俺の話をしていたらしい。
逆に俺が来ない日が続くと元気がなく、泣いている日もあったという。
帰り際に、一枚のメモをもらった。
病院備え付けの薄っぺらいメモ用紙には震えた力無い「お疲れさま」の文字があった。
葬式や通夜が終わり、俺は発表を見に行った。
結果は合格
俺は泣いた
合格も嬉しかったけれど
何より心で叫んだ
かーちゃん、ちゃんと受かったよ!!!!
お祝いしてくれよ、かーちゃんの弁当で花見行こうよ
何で…こんな時にいないんだよ…
かーちゃん…
俺は合格通知をかーちゃんの墓に見せに行き
たくさんの話をした。
端から見たら変な人に見えるだろう
でも俺はこの18年間のごめんなさい ありがとう を全部語った。


【第十六話/サクラはサクはずだった】
98 名前:名無し職人[sage] 投稿日:2006/03/20(月) 23:36:37
「おにいちゃん、こんにちは。
 わたしのお母さんが、今度お兄ちゃんのお父さんと結婚するので、
 わたしとお兄ちゃんは兄妹になることになりました。
 わたしはお父さんができることと同じくらい、おにいちゃんができるのが
 とてもうれしいです」
俺の母親は、俺が17のときに親父が迎えた後妻だ。
以前の、どうしようもない人間以下の女ではなく、本当の母親だと思ってる。
再婚が決まってから、初めて俺は新しい母親と新しい妹に会った。
何処かの私立小学校の学生服を着た9歳の女の子から、俺はこの手紙をもらった。
俺も一人っ子で、本当は嬉しかったのに照れくさかったんだ。
挨拶もそこそこで、無愛想にその手紙を受け取った。
だけど妹に会ったのはそれが最初で最後になった。
彼女はそれからすぐに病気で死んだ。
発病から死まで、あっというまの出来事だった。
俺は何でもしてやるつもりだった。
中学に入って生意気になってきたら本気で叱り付けてやるつもりだった。
学校でいじめられたりしたら、いじめた奴をコテンパンにのしてやるつもりだった。
援交とか始めたりしたら、真剣に道徳に付いて教えるつもりだった。
「おにいちゃん」から「兄貴」に変わる年頃になったら、からかってやるつもりだった。
そして彼氏が出来たら、兄貴風吹かして彼氏に「お前には妹は相応しくない」といってやるつもりだった。
妹の部屋にのこのこ現れて、バカやって二人の間に入りふざける。
「おにいちゃん!邪魔しないでよ!」なんて言われたら彼氏そっちのけで喧嘩をして、オヤジが止めに入って、二人してどやされる。
そんな光景を夢に見てた。
葬式では、母親よりも俺の方が激しく泣いた。
友人達が心配する位狼狽して、一人で立っていられない程に泣いた。
ほんの二週間前の自分にあって、殴ってでも警告してやりたかった。
もっと優しくしてやればよかった。
どんな想いで俺宛に手紙を書いて、どんな気持ちで手紙を渡したんだろう。
見た事もない男を「お兄ちゃん」と呼ぶ時、きっと物凄く緊張しただろうに。
俺は妹の代わりに母親を大事にしている。
この人こそが俺の母親だと思っている。
「わたしのお母さん大事にしてね?お兄ちゃん!」
「そんな事言うまでもないだろ?」
妹とのそんなやりとりを、今でも空想しながら母親に接してる。
生きていたら、俺の妹は今年の春、高校を卒業した筈だ。

たった一回しか会わなかったが俺には妹がいた。


【第十七話/元服】
91 癒されたい名無しさん :2008/09/11(木) 08:20:21 ID:nCIVc93k
俺の近所に住んでた爺さんの話。
一人暮らしだった爺さんは子供好きで、ちっちゃい頃の俺もよく遊んでもらってた。
ある時、爺さんの家で見た暴れん坊将軍(だったと思う)の1シーンで
老中と主役が「じい」「若」と呼び合うのを二人で真似して
俺「じい!今日も遊びに来たぞ。」
爺「若、よくぞいらっしゃいました。」
なんて呼び合って遊んでいた。
そんな関係は俺が他県の大学に進学するまで延々と続いていた。
卒業後に実家に戻ってきたらなんと「じい」が脳卒中やって入院中だという。
さっそく見舞いに行ってみたら「じい」はたくさんの管に繋がれて
ベッドに横たわっていた。
看護士の話では外界からの刺激にはなんの反応も示さない状態だと言う。
俺は「じい」に呼びかけてみた。
「じい、俺だぞ。覚えてるか?」
ダメもとのつもりだった。
・・・が、次の瞬間、閉じられていた「じい」の目がカッと見開き
そして今まで昏睡してたとは思えないようなハッキリとした声で喋った。

「若、ご立派になられましたな。」


【第十八話/最期にしてあげれる事はたったひとつ】
56 名前:Mr.名無しさん[sage] 投稿日:2006/09/23(土) 14:24:52
彼との結婚を私(25歳)の父と母は猛反対していました。
彼は昔両親を亡くして、祖父母に育てられていました。
そして4年前祖父が亡くなり、彼は32歳になる今まで84歳の祖母と二人暮しでした。それが反対の理由でした。
「何も結婚してすぐに介護が目の前にあるような結婚をする事はない」と。
結婚を申し込みにきた彼と彼の祖母ににもそう言い放ったんです。
その2日後でした。
彼の祖母が置手紙を残していなくなりました。
仕事から帰った彼からの電話で、私達は必死で探しました。
探して探して探して空が明るくなりかけた頃、
彼の祖父の眠るお墓の前に座りこんでいる祖母を見つけました。
歳も歳だったので衰弱し、そのまま即入院になりました。
その事がきっかけで、私の両親も私達の結婚を許してくれ
結婚式はせず、すぐに籍だけをいれました。
もう10年近く前の話です。
祖母は入院後1ヶ月ほどで亡くなりました。
その時の手紙です。

●●へ(彼の名前)
ばあちゃんは本当に貴方がかわいかった。
貴方のお父さんとお母さんが死んだ時
私のこの先の人生は貴方の為に使っていこうと心に誓いました。
ばあちゃんは年であるしお金もない
何も何も持ってはおりません。
貴方への愛情だけです。
そして貴方はばあちゃんの事をとてもとても大切にしてくれた
とてもとても良い子に育ってくれました
そして人生の伴侶となるべき相手を見付けました。
でもばあちゃんがそれをじゃましているんだね。
幸せになってください。
ばあちゃんは貴方を育てる事が出来た事がとてもうれしいです。
とてもとても幸せでした。
妙子ちゃん(私)と、どうかどうか幸せになってください。


【第十九話/傷が勲章になるのは、男だけじゃない】
722 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/09/18(火) 21:45:52.79 ID:BNeSzliK0
私を大学に通わせてくれた母へ
あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね
私が産まれて時、あなたは泣きながら喜んだんですね
私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね
借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね
保育園では遠足のおやつは雑穀のおはぎでしたね
小学校の給食費を払えない月もありましたね
修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね
中学の制服は親戚のおさがりでしたね
高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね
無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね
ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね
お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね
センター試験の前日には初めて特上寿司を食べさせてくれましたね
センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね
前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね
あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね
私もあなたにずっと謝り続けましたね
そして私は気持ちを切り替えて後 私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に
合格することが出来ましたね 
あなたはずっと「おめでとう、おめでとう」と泣き続けてくれましたね
でもあなたは入学の準備の時に急に倒れて病院に運ばれましたね 
医者が、癌が全身に転移していてこれから一週間が峠だと告げましたね
私がただただ泣き続けている時にあなたは
「この体の傷や癌の一つ一つがあなたを育てあげた立派な勲章なのよ」と微笑みながら言いましたね
あなたは最後まで泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね
今私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ 
あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから
私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど、あなたに生まれ、育てられて
本当によかったよ
ありがとう、お母さん



【最終話/野球観戦】
115 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/07/11(水) 10:32:21.05 ID:Celeo4aU0
幼い頃に父がなくなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母がもらったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場で1人1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われた。
帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら
母は「母ちゃんバカでごめんね」と言って少し涙をこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に1度だけ目を覚まし思い出したように「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで言葉にならなかった。





過去記事/号泣必死、伝説の泣けるコピペ傑作選はこちら↓。
【240000HIT御礼企画「泣けるコピペ―私的20傑」】

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  • 2016.08.26 Friday
  • -
  • 22:29
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コメント
素晴らしいコピペありがとうございます。
リアルに泣いてしまいました。

非常に深く考えさせられた20選だったと思います。
もっと今を大切に生きよう、と心から思いました。
  • Knocker
  • 2009/04/04 5:58 AM
>Knockerさん
どもども、御丁寧なコメントありがとうございますです。

泣いて、ちょっとはスッキリしましたか?
ストレス解消のお手伝いが少しでも出来ていたなら幸いです。
まぁ、あんまり常日頃から「死」について思い耽っていても、
それはそれであんまり健康的ではないので(苦笑
時々、ふっと今を生きている幸せってやつを思い出してくれればと。
明石家さんまの台詞じゃないっスけど「生きてるだけで丸儲け」ですよ♪
  • POO
  • 2009/04/06 9:53 AM
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